NHK大河ドラマ「八重の桜」を見ていますか?
7回目の放送から、いよいよ京都と会津藩との繋がりが出てきます。
今回から、新島八重ゆかりの地として紹介していきます(*`・ω・)ゞ
目次
三条大橋(さんじょうおおはし)
攘夷派(日本を鎖国したまま守ろうとする動き)の過激行動から
京都御所の孝明天皇をお守りするために、会津藩主の松平容保(まつだいらかたもり)は
半ば無理やり“京都守護職”を任されることになってしまうんです。
これが、結構かわいそうななりゆきなんです(=ω=.)
個人的には松平容保(まつだいらかたもり)がどれだけ辛かったかと
考えてしまいます。
そんなこんなで任された京都守護職。文久2年、
松平容保(まつだいらかたもり)は、およそ1000人の会津藩主を引き連れて、
はるばる京都に上洛します。
その際に通ったとされるのが、この三条大橋です。
松平容保(まつだいらかたもり)ら会津藩主の列は4キロメートルにも渡る
大変堂々としたものだったようです。
もちろん、新島八重の兄:山本覚馬(やまもとかくま)も一緒に上洛しています。
今の三条大橋は、駅のほうにスターバックスがあって、夜はカップルでいっぱいです。
金戒光明寺(こんかいこうみょうじ)
京都守護職本陣が置かれたのが、御所の東側にあってすぐに駆けつけることができる
金戒光明寺(こんかいこうみょうじ)です。
のちに会津藩の傘下に新撰組が結成され、新撰組発祥の地ともされています。
(出典:金戒光明寺 公式HPより)
松平容保(まつだいらかたもり)は、若く端正な顔立ちで大変忠誠心んお強い人だったので
孝明天皇からの信頼も熱く、容保が上洛してから1年後に建てられた京都守護職屋敷門には
菊の御紋がたくさん使われていることからも、どれだけ孝明天皇が容保を頼りにしていたかわかります(。・Д・)ゞ
京都守護職屋敷門は、京都市内のあちこちに移築されています。
- 京都国際ホテル裏手の駐車場(二条城のお向かい)
- 武道センター南側の観光バスが止まる駐車場(平安神宮の近く)
歴史は知れば知るほどおもしろく、歴史を知れば知るほど京都が楽しくなりますねヾ(嬉→ω←嬉)ノ
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