NHK大河ドラマ「八重の桜」では、ついに会津藩に矛先が向けられる
きっかけとなる“池田屋事件”の騒動が放送されました。
京都守護職と新撰組、これからの八重の人生にも大きく関わってくる
池田屋事件ゆかりの地についてご紹介します(*`・ω・)ゞ
目次
祇園祭 宵山(ぎおんまつり よいやま)
祇園祭は、京都で7月に1ヶ月もかけて行われる日本三大祭のひとつです。
長州藩を中心とする攘夷派の集まりが(外国を受け入れないという意見ですね)
力ずくでも攘夷を成し遂げようとするために、
祇園祭の2日前に天皇が住んでいる御所へ火をつけて、混乱の中で
- 中川宮朝彦親王(なかがわのみやあさひこしんのう)の幽閉
- 将軍:一橋慶喜と会津藩主:松平容保の暗殺
- 孝明天皇を長州へ連れ去る
というクーデターを起こそうと裏で画策していたのです。
クーデターを起こそうとしていた祇園祭の2日前は、風が強くて
火の回りが早いというのも選んだ理由のようです。
邪魔なものは殺してでも・・・というのが怖いですね。
会津藩と藩主の松平容保は、狙われるのもお門違いなのに、
攘夷派の怒りの矛先になって、本当にかわいそうです(´・ω・`)
池田屋(いけだや)
京都守護職として会津藩が警護をしていたんですが、
近藤勇の独断で京都中を捜索していた新撰組がクーデターを画策していた攘夷派の集まりを
池田屋で見つけて、あの騒動が起きたんです。
池田屋事件で倒れた攘夷派の志士のなかには、嘉永3年に吉田松陰(よしだしょういん)と共に
会津を訪れた宮部鼎蔵(みやべていぞう)もいたそうです。
八重の兄:山本覚馬は、きっと胸を痛めたでしょうね。
坂本龍馬に関しても、海軍操練所で共に汗を流した同郷の望月亀弥太(もちづきかめやた)が
攘夷派志士として命を落としていますから、誰にとっても失ったものは大きかったでしょうね。
池田屋の跡地は、チェーン居酒屋のはなの舞が建っていますが、
同じ“池田屋”として営業されていすし、新撰組の映像がながされていたりして、
歴史をよく知ってから行くと「あんな騒動があったところなのに・・・」と思ってしまうかも(=_=)
池田屋事件をよく感じたい方は、夜にこのあたりを歩くと、
騒動があった時の雰囲気を感じるにはぴったりです。
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