NHK大河ドラマ「八重の桜」では、会津藩が京都守護職に就き、
9回目の放送では、幕末の人気を坂本龍馬と二分する
「新撰組」に関するお話も始まりましたね。
ということで、今回は京都の「新撰組」ゆかりの地について
紹介します(*`・ω・)ゞ
目次
八木邸(やぎてい)
新撰組が屯所(今で言う駐在所のようなところ)としていた壬生村(みぶむら)の
邸宅で、会津藩から「新撰組」という名前を貰う前から近藤勇や土方歳三が寝泊りをさせてもっていたお宅です。
(出典:八木家 公式サイトより)
今も、和菓子屋:京都鶴屋を営んでいる八木家のご住居なんです|・ノω・)
壬生浪士が会津藩主:松平容保(まつだいらかたもり)お預かりとなってからは、
八木邸の右門柱に「新撰組」という札を掲げて、幕末の動乱を駆け抜けた
「新撰組」が誕生したというわけですね。
初めは13名だった隊士も、どんどん数が増えて八木邸だけでは納まらなくなると
- 前川家(旧前川邸)
- 南部家(残念ながら現存していません)
など、数箇所を新撰組隊士の屯所として使わせてもらっていたそう。
ちなみに、「新撰組」の隊長:近藤勇となるまでの内部争いで芹澤鴨が文久3年に
暗殺されたのも八木邸の奥座敷だそうですよ。
まだお屋敷にはそのときの刀傷が残っていて、
その争いの凄まじさがわかるそうです。
しかし、人がお亡くなりになっている場所がそのまま残っているかと思うと、
幽霊とかどうなんでしょうか・・・(=ω=.)
歴史が残っているのは嬉しいですが、なんだか複雑な気分です。
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旧前川邸(きゅうまえかわてい)
新撰組の隊士が増えて、八木邸では納まらなくなったために隊士の屯所として
使わせてもらっていた住居です。
新撰組の屯所としては、文久3年から2年間使われていました。
前川邸が新撰組の屯所となったのは、
- 前川家が京都市中の情勢に詳しかった
- 役人からの信頼が厚かった
- 京の町外れにありながら、二条城に近い
などの理由で、旧前川邸を屯所として提供したそうです。
今では、個人のご住居となっているので一般公開はされていません(´・ω・`)ザンネン・・・
現在、住居として所有している田野家は、初めは新撰組の屯所として使われていた場所だとは知らなかったそうです(*゚Å゚;*)
意外ですよね。
のちに歴史的建物だとわかって、HPで内部を紹介してくださっているようです。
(出典:旧前川邸 公式サイトより)
近藤勇らが雨戸に書いた落書き
- 勤勉
- 努力
- 活動
- 発展
旧前川邸の公式サイトでみることができますよϕ(‘ε’〃)
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