NHK大河ドラマ「八重の桜」では、八重の兄:山本覚馬率いる会津藩の鉄砲隊と攘夷派の長州藩が御所の蛤御門で激戦を繰り広げました。
ドラマでは、八重の兄:山本覚馬が漫画のように鉄砲の弾をさらりとよけていましたが、本当によけていたんでしょうか・・・・
ちょっとした疑問です(;=´З=)
そして、そうやって鉄砲の弾をよけていた山本覚馬が長州藩が使っていた新式の銃に見とれて砲撃の玉に当たるなんて、
猿も木から落ちるというわけですね。
さてさて、今回は山本覚馬率いる会津藩の鉄砲隊と長州藩が激戦を繰り広げた蛤御門の変ゆかりの地についてご紹介します(*`・ω・)ゞ
目次
京都御苑 蛤御門(きょうとごえん はまぐりごもん)
京都御苑の正門のひとつで、正式名称は新在家門(しんざいけもん)というそうです。
京都御所は、蛤御門の中に入った砂利が敷き詰められている敷地の中にある建物のことで、
砂利や緑があふれる京都の人の散歩道が京都御苑です…..ϕ(‘ε’〃)
蛤御門の変は、会津藩だけの活躍だけでなく西郷隆盛率いる薩摩藩の協力もあって
無事御所を守りきることができます。
門の柱には、激戦の跡(弾痕)を見ることができます。
すごいですよねー。歴史の跡とはいえ、戦いの跡がみられるなんて私にしてみたらびっくりです。
修復しちゃいそうなのに。
蛤御門(はまぐりごもん)の中に入って右手には、このような説明のたて看板があります。
どうして「蛤御門(はまぐりごもん)」と呼ばれているのかが書いてあります。
御苑の中をぐるりと回るのは結構広いですが、蛤御門をみて御所のまわりを散歩してみるのも面白いですよ(。・ω・。)
↓道路を挟んだ向かい側に京都ガーデンパレスがあります。
京都御所について
京都御所について詳しく紹介しているページはこちらです。
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