NHK大河ドラマ「八重の桜」では、開国に奔走していた八重の兄:山本覚馬の師である佐久間象山(さくましょうざん)が攘夷派の何者かに殺されてしまい、武力をもってでも攘夷を押し通そうとする長州藩に有利になってしまいました。
この後起きる蛤御門の変(はまぐりごもんのへん)の引き金となった死、佐久間象山(さくましょうざん)ゆかりの地についてご紹介します(*`・ω・)ゞ
目次
妙心寺 大法院(みょうしんじ だいほういん)
(妙心寺 大法院 公式サイトより)
妙心寺 大法院(みょうしんじ だいほういん)は、佐久間象山のお墓があるお寺です。
信州松代藩真田家に仕えていた佐久間家は、真田家が代々先祖の位牌を納めている寺:妙心寺大法院に葬られたんですね。
通常は公開されていないお寺ですが、新緑が美しい春と真っ赤に色づいた紅葉が広がる秋には特別公開されるので、タイミングを合わせていけば、自然の景色が美しい庭園や佐久間象山が書いた書をみることができますよ。
佐久間象山寓居之址(さくましょうざんぐうきょのあと)、象山先生遭難之碑(しょうざんせんせいそうなんのひ)
(京都探索隊より)
(京都探索隊より)
佐久間象山が殺されたのは、佐久間象山の屋敷まであと少しという場所でした。
かなり先進的な考えをしていた佐久間象山は、洋装・洋式の鞍とかなり目立つ格好をしていたために、狙われやすかったそうです。
先進的な考えというのは、100年ぐらい経たないと理解されにくいものです(=ω=.)
会津藩と長州藩の激戦となった蛤御門の変は、佐久間象山(さくましょうざん)暗殺の8日後に起きることになります。
石碑は、すごーくわかりにくいところにひっそりとあります|ω・)
グーグルストリートビューでも、木の右側から見えますが薄っすらとです・・・
木屋町エリアはいろいろな歴史跡がつまった場所ですね。
京都という町は、歴史を知れば知るほど歩くのが楽しい町です(。・ω・。)
中学生のときにもう少し日本史に詳しかったらもっと楽しかったのに・・・
なんて思います(·´ω`·)ゞエヘヘ
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