NHK大河ドラマ「八重の桜」では、会津を含む幕府方にとっては地獄の鳥羽伏見の戦いが開戦となります。
京都にいては危ないということで、二条城裏門から逃げるようにひっそりと徳川慶喜は大阪城へ
居を移します。しかし、薩摩は京都ではなく徳川の本拠地・江戸で幕府の人間に挑発をしてきます。
薩摩の挑発にのってはいけないと、冷静な目で時代をみていた人たちはわかっていましたが、
徳川慶喜は家臣たちの勢いを抑えられないと挑発にのってしまいます。
会津にとってはまたまた巻き込まれる形で悪い方へ巻き込まれた鳥羽伏見の戦いゆかりの地についてご紹介します(*`・ω・)ゞ
目次
御香宮神社(ごこうのみやじんじゃ)
鳥羽伏見の戦いで薩摩藩が屯所とした場所です。
幕府方は、御香宮神社の向かいにあった伏見奉行所が屯所でしたから
激しい戦いが繰り広げられましたが、御香宮神社は戦火からは免れました。
伏見奉行所跡(ふしみぶぎょうしょあと)
当時、御香宮神社の向かいのあって鳥羽伏見の戦いの際に炎上し、
幕府軍は敗走します。
現在は、市営桃陵団地の入り口にあたる場所で、石碑が建てられているのみです。
魚三楼(うおさぶろう)
現在も営業している料亭・魚三楼の入り口には、鳥羽伏見の戦いの弾痕が残っています。
今までそのまま直さず残っていることがすごいですね。
鳥羽伏見戦跡(とばふしみせんあと)
伏見区中島秋ノ山町・千本通と、城南宮道との交差点北側にあります。
お正月の余韻を楽しむまもなく1月3日、大阪から京都に向かう幕府軍と
薩摩藩との戦・鳥羽伏見の戦いが始まります。
このほかにも伏見にはたくさんの石碑があることから、
鳥羽伏見の戦いが壮絶だったことがわかりますね。
幕府軍として戦う会津藩は、旧式の武器でありながらも薩摩藩兵がひるむほどの
勇気を見せ付けます。
敗走をしたものの、会津藩の強さが実証された瞬間ですね。
でも、この強さが裏目裏目とでてしまうんです。
八重が銃を持って戦う戊辰戦争まであとわずか。要チェックです!
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