NHK大河ドラマ「八重の桜」では、八重の前夫・庄之助が病気で志半ばでこの世を去り、八重の新しい夫となる新島襄(にいじまじょう)と出会い、新島の優しさによって庄之助の死や戊辰戦争で止まったままとなった八重の心が再び活発に突き動かされることとなります。
新島にとっても、3歩後ろを黙って付いてくるような古風な女性ではなく、当時では珍しい男性と並んで歩く八重のような女性を人生の伴侶としたいと思っていたことから、二人はめでたく婚をします。また、この結婚で八重は女紅場を退職せざるをえなくなる代わりに、新島と同志社大学の前身:同志社栄学校を始めます。
今回は、同志社ゆかりの地についてご紹介します(*`・ω・)ゞ
同志社英学校 仮校舎跡(新島旧邸)
西洋の文化を教えるための学校建設は、当時の京都では容易なことでありませんでした。昔から仏教が根付きキリスト教への風当たりが強かったため、キリスト教を教える学校を作るための土地を譲ってくれる人がいなかったのです。
(出展:Wikipedia)
ですが、新島襄(にいじまじょう)の人柄や「日本をよい国にしたい」という気持ちが心を動かし、土地を譲ってもらえることになりました。
そこは、京都での戦で荒れて手付かずとなっていた場所でしたが、同志社英学校を始めるには申し分のない大きさだったようです。話の内容が先の回に進んでしまいますが、この敷地はやがて教会を兼ねた新島夫妻の邸宅地となります。
京都御所の寺町通りに面した場所にありますので、京都御所の見学も併せてできます。
なお、一般公開は無料ですが文化財保護の目的で見学の定員制限が設けられており、事前申し込みが必須です。
なお、2014年4月~9月は建物のメンテナンスに伴い休館となる他、毎週火曜日は休館日となっています。公開時間は10:00~16:00まで。
その他、年末年始の休館日なども、上の申し込み方法の詳細・申し込みページから確認することができます。
建物の中には、勝海舟の六然の書の額などもあるので、勝海舟ファンの方も必見かと。
コメントを残す