NHK大河ドラマ「八重の桜」では、西南戦争が西郷隆盛の死によって幕を下ろした頃、八重が戊辰戦争の時に銃で倒した薩摩藩士の娘が同志社女学校の生徒にいることがわかり、八重は自分の過去と戦うこととなります。
薩摩出身のその生徒が当時の難病「結核」をわずらい、自分が死ぬ危険を覚悟の上で新島夫妻の自宅で看病をすることになり、互いが何があっても生きていかなければならないという現実に向き合い、出身地などで人を判断せず、ひとりの人としてわかりあうことを学びます。
今回は、同志社英学校の借校舎のあった土地でもあり、新島襄、八重旧邸ゆかりの地についてご紹介します(*`・ω・)ゞ
新島旧邸 (にいじまきゅうてい)
(出展:同志社大学HP)
山本覚馬が購入していた旧薩摩藩邸跡への同志社英学校建設の許可を得ます。山本覚馬はことき、京都知事の顧問を辞職することと引き換えに学校建設の許可を得るのですが、これもまた山本覚馬の新しい試みのスタートとなります。
同志社英学校の仮校舎があった土地には、新島襄のボストンの友人J. M. シアーズの寄付によって教会を兼ねた新島夫妻の私邸を建設します。
設計は新島襄がW.テイラーの助言をしながら行ったと言われています。台所の流し台を八重の身長に合わせて作るなど、襄の八重に対する愛情が感じられます。外壁や門は昔ながらのつくりであったり、和洋折衷の木造二階建てがモダン。今見てもワクワクします。明治は和式と洋式の融合がバランスよく混じっているところがいいですね。八重のパニエ入りのワンピースなども、ハイセンスです。
NHK大河ドラマ「八重の桜」放送に伴い、2012年9月〜2014年3月まで特別公開となり期間中は開館日や見学方法が変わります。
2014年4月~9月は建物メンテナンスのため休館になるのでご注意を。
2階の見学は、文化財保護と安全確保のために行われていませんが、当時のまま残っているので見学できる部分だけでも十分当時の様子を伺うことができます。
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