NHK大河ドラマ「八重の桜」では、やり手ではるけれど独裁的なやり方がある槇村正直と山本覚馬がまたまた対立することとになります。
強引なやり方をする槇村正直に反発心があるものの、京都府の議員になった者は民主政治のことなど全てが初めてであることや、槇村正直が明治政府とのつながりがあることを恐れてなかなか意見することができずにいましたが、山本覚馬が「新聞」を使い、槇村正直の強引なやり方を批判することに成功します。
今回は、京都府2代目府知事として京都の発展に手腕を振るった、槇村正直ゆかりの地についてご紹介します(*`・ω・)ゞ
目次
新京極通(しんきょうごくどおり)
(出展:新京極商店街進行組合公式サイト)
京都から東京へ遷都が進み、勢いをなくしていた京都を活性化させようと寺院の境内を整理して槇村正直が作ったのが新京極通です。
北は三条通、南は四条通までの比較的短い通です。土産物屋や若者向けのお店など、時代にあった形に変化しています。
知恩院(ちおんいん)
(出展:知恩院HP)
産業振興のために、第1回京都博覧会の会場として知恩院が使われました。この京都博覧会には、4万人程の人が訪れて大成功を収めたそうです。
→ 知恩院
都をどり(みやこおどり)
(出展:都をどり公式ウェブサイト)
毎年4月1日~30日に開かれる都をどりは、第1回京都博覧会の時に槇村正直の発案によって始まりました。
都をどり1回目の歌詞は槇村正直が書いたものだと言われています。その歌詞には、当時珍しかった「地球」という表現が使われて、京都のよさが地球のすみずみまでよさが伝わるようにと書かれていました。
都をどりの会場は、ドラマ「鴨、京都へ行く」のロケ地クイズでも紹介していますので、参考にしていただけると嬉しいです。
また、平成26年4月1日~30日に行われるだい142回都をどりの予約が10月1日から始まっているので、来年の都をどりに言ってみた方はどうぞ。
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