NHK大河ドラマ「八重の桜」では、京都守護職を勤め上げ、会津に帰る許しを孝明天皇から出されるかと思った矢先に、孝明天皇が突然崩御されてしまいます。
もうすぐで会津に帰れると思っていた会津藩、松平容保にとってはどれほどの衝撃だったことか。
今回は、会津藩主・松平容保に自分と同じ境遇で唯一分かり合える者として格別の信頼を寄せ、容保にとっても京都で心のよりどころだった孝明天皇ゆかりの地についてご紹介します(*`・ω・)ゞ
泉涌寺(せんにゅうじ)
(泉涌寺 公式サイトより)
代々、四条天皇以来 皇室の菩提所となっているお寺で、孝明天皇の葬礼もこちらで執り行われました。
孝明天皇は、発病からわずか13日で崩御されるという突然のできごとに、会津藩は帰郷するチャンスを逃してしまうんです。
発病から崩御まであまりにも短かったので、毒殺説が出たほど。
頑なに忠誠を誓う松平容保に、孝明天皇は信頼の証として書簡(しょかん・御宸翰)と御製(ぎょせい・天皇が詠んだ歌)を贈ったそうです。
天皇自らの贈り物は、とんでもなく神々しい贈り物ですからね。
御製には「二人でこころをあわせれば、どんな困難にも立ち向かっていける」ということが書かれていて、容保は「お上から一藩主の自分にそんなことを言ってもらえるなんて・・・(TДT)カンドウッ!」と感動した容保は、書簡と御製を錦の袋に包んで生涯肌身離さず持っていたそうです。(緋色地唐草葵紋錦袋・松平保久氏 蔵)
※2013年NHK大河ドラマ特別展 八重の桜にて、書簡や御製、緋色地唐草葵紋錦袋ほか、八重ゆかりの品などを見ることができます。
東京・福島・京都でそれぞれ行われますので、お近くの会場でご覧になれます。詳細はこちらです。
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