NHK大河ドラマ「八重の桜」では、兄・覚馬の指示で日本初の公立女学校と言われている女紅場(にょこうば)で先生として住み込みで働くことになりました。
ですが、八重は学生として英語を学ぶ生徒でもあり、英語も堪能になっていきます。戊辰戦争で大きく傷つけられた八重でしたが、新しいことを無我夢中で学んでいくことで、これからどう生きていくべきかを見つけ出そうとします。
今回は、八重が先生として教え、学んだゆかりの地についてご紹介します(*`・ω・)ゞ
女紅場跡(にょこうばあと)
(Wikipediaより)
八重は女紅場でお給料をもらいながら積極的に働くキャリアウーマンでした。
当時では、まだまだ女性が積極的に外で働くということが珍しかったのです。武家の娘として教えられてきた礼儀作法、読み書き、裁縫などを教えていました。
現在は、女紅場を前身とする京都府立鴨沂(おうき)高等学校の正門には、当時のものを移築して作られています。
また、八重は京都博覧会で配られた初めての外国人向け京都案内書は、兄・覚馬が考えたものを八重たちが英文にする手伝いをしたそうです。
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