(東本願寺公式サイトより)
目次
東本願寺って?
- 正式名称は真宗本廟(しんしゅうほんびょう) ※1987年までは本願寺
- 通称は「お東さん」
- もともとは東本願寺と同じ「本願寺」だった
- 京都駅のすぐ側にある
- 御影堂(ごえいどう)は浄土真宗の開祖・親鸞(しんらん)のご真影を安置
- 京都三大門の御影堂門(ごえいどうもん)がある
- 紅葉のスポット
東本願寺|みどころ
東本願寺のみどころ|烏丸通に面した御影堂門(ごえいどうもん)
京都三大門(あとの2つは、知恩院-三門、南禅寺-天下龍門です)のひとつで、とっても大きいです。びっくりします。彫刻がとっても美しく、牡丹や獏(ばく・人の夢を食べて生きるという、中国から伝わった空想の動物)がほられています。
※2015年12月末まで修復中です。
東本願寺のみどころ|御影堂(ごえいどうも)
なんと、幅76m、奥行58m。世界最大級の木造建築物で、法然の弟子・親鸞(しんらん)のご真影を安置しています。
東本願寺のみどころ|どうして西と東に分かれているのか?
もともと、西本願寺と東本願寺は1つの本願寺で、今は道を挟んで600mほど離れた場所にあります。では、なぜ分かれてしまったのでしょうか。
本願寺の始まりは鎌倉時代のお坊さん・親鸞が90歳で亡くなった後にその大谷本廟から発展した浄土真宗本願寺派が本山で、織田信長と真宗本願寺勢力(一向一揆)が石山本願寺で戦った石山戦争がことの始まりです。
当時、本願寺勢力は最大の宗教的武装勢力で、天下武布を目指した織田信長とは10年戦い、織田信長が勝利しました。
石山本願寺のお坊さん・顕如(けんにょ)は信長と講和を結んだんですが、顕如の長男・教如(きょうにょ)が「まだまだ戦う!」と父・顕如が石山本願寺を出て行った後も篭城したものの、最終的には信長に石山本願寺を明け渡し、火災によって石山本願寺はなくなってしまいます。(石山本願寺があった場所には、後に大阪城が建ちます)
※顕如は、ドラマ「信長のシェフ」で市川猿之助さんが演じていた役ですね^^
さてさて、それから時間が経ち豊臣秀吉に今の西本願寺の土地を寄進されて本願寺が建つんですが、顕如は亡くなってしまったので跡取として長男の教如が継ぐはずだったんですが、秀吉は仕えていた信長に敵対した教如を西本願寺に入れることを嫌がったので、顕如の三男・准如(じゅんにょ)が後を継ぐ結果になりました。
これで一件落着かと思いきや、徳川家康が将軍となった次の年に、家康はあろうことか教如に今の東本願寺の土地を寄進したために、もうひとつ本願寺ができて、道を挟んで西と東にあったので西本願寺と東本願寺ができたということです。
天下の勢力者が変わるだけで、こんなにも色々と変わるものなんですね。もともとは同じ本願寺だったので、西本願寺と東本願寺は同じような作りになっているのが特徴的です。
東本願寺のみどころ|御影堂門前の花壇
御影堂門(2015年12月末まで修復中です)の前には、花壇や蓮が咲く噴水があります。これがかなり癒しのスポットです。
東本願寺|拝観について
住所:下京区烏丸通七条上ル
駐車場:なし
拝観時間:季節により違う
3~10月 5:50~17:30
11~2月 6:20~16:30
※2013年1月~2015年12月末日まで、御影堂門と阿弥陀堂は修復中
拝観料:なし
拝観所要時間:約40分